□概要
お笑い芸人「ハリガネロック」のボケ担当、
ユウキロックさんが2001年、初代M-1準優勝の絶頂期から、
2014年、コンビを解散するまでについて赤裸々に語った。
冒頭は「2005年、俺はこの年に漫才を辞めるべきだった」という
告白から始まる。この本は、ユウキロックさんが漫才師としての自分を
終わらせる、ケジメとして文言化したものである。
※ネタバレを含みます。
<補足>
現在、著者は漫才の講師として複数のお笑いの養成所で働き、
Youtuberとしても活躍している。
□感想
この本は、先に見たサンドウイッチマンさんの『復活力』や
塙さんの『言い訳』とは全く異なる、少し気が重くなるような本だ。
なぜなら、著者のユウキロックさんが自分がなりたかった芸人を苦悩の末、
辞める決意したことについて描かれているからだ。
お笑いに真剣に向き合い続け、努力を行なってきたにもかかわらず、
ユウキロックさんが目指した期待通りの結果(M-1優勝)は出来なかった。
その葛藤から痛々しいほどの思いが伝わってくる。
分野は違っても、トップを目指す人の勢い、覚悟から学ぶものが多々会った。
ユウキロックさんのLVで(私は)取り組めているだろうか?
下記、箇条書きで気になったことポイントと自分のことを振り返ってみる。
□気づき
<コンビは誰とやるかで全て変わる。>
ハリガネロックは素晴らしいコンビだった。
しかしながら、時間や考えの相違から、
コンビ同士の歯車がどこかでズレてしまった。
* * *
やはり誰と一緒に夢を追うのかは重要だと思った。
この答えは人によって違うはず。
私の場合は、以前紹介したサンドウィッチマン『復活力』
のように、気心の知れた旧友と一緒にチャレンジする方が
合っていた。
言葉を使わずとも分かり合え、ある程度同じ価値観を共有しつつも、
自分とは異なる個性を持っている人と
一緒にチャレンジすることが大事だと思った。
<ケンドーコバヤシの才能は自分を輝かせない>
・ユウキロックさんは、”ハリガネロック”の前に、ケンドーコバヤシさんとコンビ>組んでいた。
そのコンビは周囲から将来を期待もされていた。
しかし、ケンドーコバヤシさんと一緒にいたら、ある程度の成功
はしても、(自分が期待しているほどに)自分は輝かない
(P60:(中略)俺は売れない。今の俺は俺じゃない)ことを悟った。
* * *
この経験に私は共感した。
大学に入学後、Jと会った時の衝撃。
Jと客観的に比べてみると、自分の才能は凡庸であり、
かつそれを補うための努力も全然足りていないことを知った。
以下、省略
<漫才とは?>
引用
P36-37
漫才は「なまもの」である。漫才は考えたネタを何度も練習し、舞台で披露するのだが、それを感じさせることなく、あたかも今思いついたようにほとんど素の自分ということで披露する。単純なように見えて、演じることに徹するコントや落語よりも特殊な演芸なのだ。
* * *
講師という仕事、スピーチ、Youtubeを行う自分にも当てはなることだと思った。自
然体と用意周到に準備した演技、原稿とアドリブ。
目の前の相手、時間軸の異なる場所では最適解が異なる。
今に合わせて調整する必要がある。
<関西の漫才には、ロックが根底にある、という分析が当てはまる>
・前回紹介した『言い訳』にて、
ナイツの塙さんは、関西芸人の漫才の根底には”ロック”がある、
とおっしゃっていた。
* * *
この本を読むと、他のコンビへのライバル心、吉本興行の事務所、
関連者との赤裸々のやりとりがある。
まさに熱い思いでその気持ちを素直に語るユウキロックさんから、
(ミュージシャンのような)“ロック”を体現していると感じる。
<ライバルの中川家がハリガネロックを強くした>
・同期でライバルの中川家の存在が、ハリガネロックを強くさせた。
* * *
やはりライバルがいること。その存在が自分を甘やかさずに
チャレンジを一歩前に進めるために大事だと思った。
<自分の道を信じること>
引用
P9「ブラックマヨネーズの漫才が、漫才師としての俺をすべて否定した。俺はこの日に解散するべきだった。」
p11「俺は動けなかった。手に持った煙草の灰がそのまま床に落ちる。これなのだ。俺が目指した理想とした漫才は、「ブラックマヨネーズ」が見せた、この漫才なのだ。明確なボケはない。ボケとツッコミというパート分けも細かく存在しない。主義と主義。イズムのぶつかり合い。これこそが俺が問い続けた漫才の答え。(中略) 漫才はボケを詰め込む競技ではない。味を醸し出す芸術なのだ。俺は時間を細かく計り、秒単位でボケを詰め込んでいた。流行りのものに手を出して簡単な笑いを量産した。ツッコミの台詞。長さ。言い回し。頭を叩く箇所まで相方に指示した。そのすべての行為が相方の主義を奪い去っていた。10年間の「ハリガネロック」としての取り組みはすべて間違いだったのではないか。「ブラックマヨネーズ」が突きつけた漫才が俺の過去を粉々にしていく。吉田いわく、あの日を「伝説の日」というならば、俺にとってあの日は「地獄の始まり」だった。そして、俺はこの日、「M-1グランプリ」の出場資格を失った。
* * *
独断と偏見。確かに、ブラックマヨネーズのネタは最強に見えたのかもしれない。でも、論理的な最適解ではなく自分(たち)を信じる方法もあったのではないか。
お笑い芸人であり、ミュージシャンのようなロックの熱い魂を持った存在、それがユウキロックさん(ハリガネロック)だった。それを自覚して、その道を迷わず進めていれば、可能性はあったのではないか。
少なくとも、後悔はしなかったのではないか?
<M-1と爆笑オンエアバトルとの違い>
引用
P85
「チュートリアル」は「チリンチリン」の素となった「バーベキュー」で「オンエアバトル」を戦い、勝ち残れずオンエアされなかったのだが、彼らは自分の漫才を信じ「M-1チャンピオン」に輝いた。「オンエアバトル」で一度もオフエア(14回)されることなくグランドチャンピオンまで勝ち取った俺達は「M-1グランプリ」では無残に散り、何もかもを失った。
「異端な発明家」ことが得られる称号。それが「M-1グランプリ」なのかもしれない。そうであるならばネタを「切り貼り」していた俺達は
「M-1グランプリ」から一番遠いところにいたのかもしれない。そして、すべての「M-1チャンピオン」に言えることは、「個」の実力である。
実力のある「個」と「個」がぶつかり、主張しあうからこそ生まれる圧倒的存在感。それがオーソドックスを超える。ネタを作っている方は作ったネタを高めようという自覚がある。ネタを作っていないほうは受け取った台本をいかに理解し、自分で昇華させ、台本以上のものに仕上げるかに力を注ぐ。
各々が自覚しなければ絶対にできない。これが「M-1グランプリ」で出した俺の答えだ。だから相方が立ち上がるのを待った。
<プロとしての矜持を学びたい>
引用
P67
その後、「アメトーク!」のオファーがある時はレポートを提出するようにした。家電芸人の時は新しい買い方や企画、「昭和プロレス芸人」の時はプロレスのおもしろ映像を自分で編集して手渡し、出演芸人に振り分けてほとんど採用してもらった。(中略)今まで自分の仕事への向き合い方が中途半端だったと痛感、ここまでして仕事なのだ。採用されないかもしれないが、そこに向かう気持ちや姿勢が大事である。100%を求められれば200%で返す。そして、毎日がオーディション。そう思えるようになった。
* * *
ユウキロックさんの、主体的に仕事に取り組む姿勢を学んでいきたい。
<夢を追うこと、家族のために夢を諦めた父親の存在>
引用
P77「家族のために夢を諦めた親父がいた。親父の人生を台無しにした俺がいる。夢を追うということ。家族を持つということ。夜明けが来るのはまだ遠い。だから結婚はまだ遠い。いい思いをさせることもできず、孫の顔を見せることもなく逝かせてしまった。申し訳なさだけが俺の体を締め付ける。だけど俺は信念を曲げない。」
* * *
省略
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共感できる部分もあり、
私にとっては良書であった。
ユウキロックさんに興味がある方は、
本書やYoutubeをぜひご覧ください。